信用と信頼

会社に戻ってきた頃は、知らない取引先に顔を覚えて貰うことが大事でした。
弟が先に会社にいたので、混同されることが多く、どちらかが謎の人扱いでした。

この頃は、親父はことある事に言うことがありました。
「銀行関係の人間は、信用するな!」
「おいしい話をする奴は、信用するな!」
「助けを申し出る奴は、裏があると思え!」
「世の中で信じられるのは、現金だけだ!」等々。
今思えば、不渡りをくらい大変な時期を過ごした事があり、信用できなかったのでしょう。
私にとっては何を信用すべきかを考え、学習する良い機会だったと思います。
しかし、若輩者の私には額面通りの言葉しか理解していませんでした。

会社が岐路に立つ時期がありました。
在る建設会社から仕事の発注予定を聞き、必ず発注するから準備してくれととまで言われました。
準備が完了した時点で、予定を確認すると別の会社へ発注するから・・・と言われました。
長く仕事をしていて、このような仕打ちは初めてでした。
抗議もせず、次回があると思い残務を処理していたら、仕事の発注は今後一切無いと言われてしまいました。
当時の常務になるのでしょうか、そんな方から突然の取引停止を言われ気がつきました。

私はその会社を信用していたが、相手からは信頼されていない。

ショックでしたね。
そして、冒頭の親父の言葉を思い出しました。
他人には隙見せてはいけない。
例え、10年来の付き合いといえ金銭での結びつきは、それだけのことだということです。
そして会社内部では、賃金が安いからと言って従業員が全て退職しました。
後から話を聞くと、引き抜きということでした。
今は何をしているかなんて知りませんが結局、金銭だけの事で繋がっていたようです。
会社の目標、社訓なんて無視されていたと言うことだと思います。

現在、私は他人と接する場合に一つの決まりを設けました。
まずは私が信頼される人になること。
相手を信用する、しないは、後で考えればいいことです。

商売をするには、私のような経験をした方は多いと思います。
心が折れたこともあると思います。
平静を保つには、難しいこともあったでしょう。
しかし、個人が信頼される存在であれば誰かが助けてくれると思います。
現に、私も個人的に助けを求め、助けていただいた事があります。


現代を生きる上でも大切なことだと思います。
共に信頼される人を目指しましょう。  

2008年01月29日 Posted by Water-Hammer at 21:48Comments(2)TrackBack(0)昔話

会社の移転

前回の昔話から少し経った頃の話です。

当時、借地に事務所を建てて会社を運営していました。
実は自社所有地という場所は一回もなく、5年契約で借地をしていました。

夏頃に大家さんから、「また、5年の契約でお願いします」と言われていたので、5年は安泰だなとと思っていました。
しかし、大家さんのご子息から「3月いっぱいで退去して欲しい」との申し出・・・
建物は自社所有のため、移転するにも建物ごとの移動となります。
実際、このような申し出が在るとは夢にも思わなかったので夏の終わりから移転先を探すことになりました。
移転することを伝え、見つかるまでは待って欲しいと申し出をし、了承して貰いました。

ここからが大変です。
まずは借地を探しました。
しかし、工事をする会社なので最低でも200~300坪は必要となります。
豊田市市内ではこのような場所は、貸し出されていて望みが無かった。
そこで考えついたのが、土地の購入です。
そうすれば、移転はもうしなくて済むことになります。
当社の移転遍歴は長く、発祥の若宮町から始まり、平戸橋町、井上町・・・本徳町と続きます。
移転費用だけで、2年分くらいの売り上げが消えています。
この費用を未来に託したらどうか?と言うことになりますね。

最初は銀行へ売り地がないか問い合わせをしましたが、費用が見合わない物件ばかりでした。
次に、知り合いの不動産関係を虱潰しに当たりました。
全部で10件以上の物件を見せていただきましたが、なかなか見つかりませんでしたが現在の場所が地目が山林で費用的にもよさそうな物件でした。
もともとは、名古屋の不動産管理会社が所有していたのですが税金の関係上安くするという物件でした。
現地は笹の葉が生い茂り、斜面で・・・大丈夫なのか、不安でした。
しかし、笹を刈り取り、木を伐採すると道らしい造成の跡が出てきました。
分譲して売るつもりだったのでしょう。
しかし、建物を造るには制限があり断念したと思われます。
当社には、建設機械が在りますし当時は社員の数も多く擁壁の製作なんかもできました。
2ヶ月掛けて、自社で造成し、舗装まで行いました。
買ってから2ヶ月を使いました。
今度は材料を運び、倉庫を分解して運び形が出来ました。
しかし、建物は建てられません。
そこで、コンテナ型の仮設事務所を置く事にしました。
固定していないから、事務所とはいえ固定資産税がいりません。
我ながら、良い案だなぁ~と思っていましたが色々と問題もありました。


この時に使用した金額し少ないですが、人的損失は大きかったですね。
この時、後の経営に響くとは思いませんでしたね。  

2008年01月29日 Posted by Water-Hammer at 14:47Comments(2)TrackBack(0)昔話

借金の発覚

戻ってきて、1ヶ月・・・
水道の仕事にも慣れて、少しだけ気持ちに余裕が出来ました。

取引先の建設会社の方から「お見合い」の話を頂きました。
相手の方は、その人の娘さんで同い年、学年は一つ上の方です。
印象としては、髪の長い温和しめの方で付き合う事となりました。
そんなこと日々を過ごしていたのですが、ある日のこと、郵便受けに葉書が1枚入っていました。

内容としては、借入金及び損害金の請求です。
はじめは詐欺か何かと思いましたが、確認すると会社組織にする以前の借り入れ金だと言うことが判明しました。
当時、手形支払いが不渡りとなり親父は保障協会に申し込みをして200万円を借りていました。
その損害金が、約600万円で、合計約800万円の支払い請求でした。

私にとっては、初耳ですからあわてました。
しかし、この事故を処理しないと借り入れが出来ない・・・大きな仕事をするときに障害となると判断し、返済について話し合いをすることにしました。
何度か、電話や足を運び・・・結果は、毎月一定額の返済をすることで決着しました。
しかし、当時の業績を考えると、今もそうですが、先の見えない不安がありました。

この時点では、まだお付き合いが続いていたのですが、断り切れず相手から断っていただけるように仕向けてしまいました。
1人なら生活できるし、廻りへの迷惑も最小限に抑えられるだろうと判断しました。
相手の親御さんが取引先と言うこともあり、本心も言えず嫌われることに成功し別離しました。

私の中で借金は恥ずかしい物とは思っていませんが、計画性のある物であれば、このような決断はしなかったでしょう。
分割で払うと言うことは、損害金は元本が在る期間は増えます。
支払いが完了するには、約1000万円が必要となるでしょう。
その分を、私が負担すれば10年程度で完済出来ると踏みました。
しかし、当時はサラリーマンの頃に家を建てていましたので生活費が2人分は確保出来ない。
ましてや子供が出来たらどうでしょう・・・楽観的には考えられませんでした。
設計士という人種は、最悪の事態を想定し設計します。
私も一応は、そのような考え方で仕事をしていました。
だから、1人を選ぶと言う決断を致しました。
・・・最近の事はブログにも書きました。
相手の方には大変申し訳なく思っています。

当時は、何が人として幸せなのか・・・理解出来ていない小僧だったのでしょう。
今もそうかもしれませんがね。
同じ事を繰り返してしまいました。



経済状況とかで、私のような過ちは犯して欲しくはないです。
貨幣価値と幸せは必ずしも同じではありません。
迷わずに幸せを考えることをお奨めします。  

2008年01月29日 Posted by Water-Hammer at 13:51Comments(4)TrackBack(0)昔話

半生

過去の失敗談を書き残し、見た人の糧になることを願います。
叉、社会道徳上の不正行為を想定させる記述も出てくるとは思いますが時効となっています。

バブル崩壊も終焉の平成元年に設計会社へ就職をしました。
業務内容は、農業系の区画整理と言えば解りやすいでしょう。
ほ場整備事業の計画や水路の設計をしていました。
この頃は、行政も企業も経済を盛り上げようと必死で仕事の量も半端な量ではなかった。
業務にもなれて、私は上司とペアで集落下水道事業の計画設計の業務に就きました。
この頃に設計に携わったのは、幡豆町の「愛知子供の国」周辺地域、御船町地域です。
道路に関しては、足助町周辺林道等路線物を中心にお手伝いをしていました。

前にも書きましたが、仕事の量も半端ではないのですが計画設計をしている仕事柄、土木業者さんより接待等を受ける側となっていました。
理由は簡単、落札金額の想定額を知りたいのです。
現在のように、予定金額を公示する制度は在りませんでしたから金額を知れば仕事を取ることは簡単であり談合もし易いと言うことです。

しかし、ここに現在の中小下請工事店の相次ぐ倒産、廃業の起点が在ったと思います。
日本の経済は、右肩上がりを想定している経済構造で、信用取引も同じ事が言えます。
公共事業の規模は下降線を辿っていて、シェアのつぶし合いが始まりました。
この状態で、右肩上がりの企業は大丈夫ですが維持しているのが精一杯の企業も出てきます。
維持しているだけでは、下降するのを待つだけです。
だから、談合しお互いを助けるという事情が出来たとおもいます。

そんな折り、体を壊し実家に戻ることになりました。
就職して6年目の夏のことです。

ここからが、私にとって波乱で人生(人の生きる道)を考えさせられる事の連続となりました。  

2008年01月29日 Posted by Water-Hammer at 10:27Comments(2)TrackBack(0)昔話